ぴくしぶより。
連載の息抜きに書いた。
【わたしのもの】
佐吉の友、紀之介は勘の良い少年である。眠っていても、誰かが近づけばすっと目を醒ます。
外面は良いが、根本的に他人を側に寄せ付けるのを嫌うのだ。表向きはにこやかにしていても、決して心から打ち解けることはない。
それは佐吉も同じこと。佐吉も、他者が近づけばすぐに目が覚めてしまう。
佐吉も紀之介も、自分の周りは敵ばかりという子供だったからだ。そんな状況で無防備に眠っていては、危険なだけだった。
そんな二人だが、お互いの気配には無頓着だった。
佐吉は、紀之介が寝ている布団にするりと潜り込む。今夜は特に寒くはなかったため別々の布団で寝ていたのだが、夢見が悪かった佐吉は夜中に目を醒ましてしまったのだ。しばらくまんじりともせず暗い天井を眺めていたが、すぐに一人で眠ることは諦めた。
隣に潜り込んで来た気配にも気づかず眠る紀之介は、佐吉が身を寄せると自然に小さな背に腕を回して抱き込む。
他の人間が同じ事をしようとしても、布団に近づいただけで紀之介は目を醒ましているだろう。目を醒まして、相手が何者なのか確認しなければならないからだ。
だが、佐吉の気配はわかっている。
佐吉だけは、紀之介の領域に入り込む事を全面的に許されているのだ。
その事を改めて思うと、佐吉は嬉しくなった。温かい胸元に顔を押し付ければ、背を抱く力が少し強くなる。
かすかな寝言が優しく佐吉の名を呼んだ。
「……さきち」
柔らかに微笑む紀之介の腕の中――ここでは佐吉は肯定されている。在ることを望まれている。
悪夢のせいで冷たく湿っていた小さな胸が、ふわりと温かくなる。
紀之介の匂いをゆっくり吸い込み、佐吉は幸福感と共に目を閉じた。
◆
雨が降っている。篠突く雨だ。胸の中で黒いものがぐるぐる蠢く。頭が真っ白になる。
真夜中の雨音で目を醒ました三成は、ふらつく足取りで城をさまよった。刑部はどこだ。寝付くまで側にいたと思うのだが、己の部屋に帰ったのだろうか。頭が痛む。雨が直接頭の中で降っているような気がする。雨音以外何も聞こえない。
「ぎょうぶ」
からりと障子を開け、薬と香の匂いの染み付いた部屋に入った。友はやはり、己の部屋に戻って寝たらしい。規則正しい寝息が雨音を縫って三成の耳に届いた。
気配を頼りに布団の端に潜り込む。冷えた体が滑り込んできたにもかかわらず、吉継は目を覚まさなかった。仰向けに寝ていた肩に頭を押し付けると、寝返りをうって横向きになる。
抱き寄せられる。
成長した三成の背は、もう彼の腕にすっぽり納まってしまうほど小さくない。それでも、背中に当てられた手の温もりが安堵をくれた。
吉継は、昔のことはあまり思い出せないのだという。健やかだった頃の事を思い出すのは、多分辛いのだ。
わざと卑屈に振舞うこともあるが、吉継は誇り高い男である。思うように動かない自分の身体を悔しく思っているだろう。思い出すことで辛くなるなら、いっそ忘れてしまった方が良いのだ。後ろばかり振り返るよりは良いと思う。
その代わりではないが、三成はハッキリ覚えている。何もかも覚えている。友とすごした記憶は、今でも三成の中できらきらと輝いている。
だが、もう戻れないとわかっている昔語りなどしても悲しくなるだけだ。だから三成は幸せな思い出を大事に胸の中にしまいこんで言葉にすることは無い。そもそも、亡き主との記憶とは異なり、吉継との思い出はうまく言葉にできないものばかりだ。
だが――
三成は少しずつ温められてきた身体を吉継に押し付け、布を巻かれた胸に顔を埋めた。彼の香りは昔とは異なってしまったが、三成は今の香りも好きだった。その匂いは安堵と幸福感をもたらす。どれほど深い絶望の中にいても、仄かな熱を胸に灯してくれる。
背に回されていた手が、さらりと三成の髪を撫でた。そのまま、守るかのように頭を抱え込む。
彼は覚えていないという。思い出せない、と。
それでも、吉継の身体は紀之介だった頃の事を覚えている。
三成の、佐吉の気配を覚えている。
冷たい泥が詰まっていた胸の中が温かく乾き始め、三成の中で雨の気配が遠ざかる。
これは、わたしのものだ。
ここは、わたしのばしょだ。
優しい睡魔に身を委ねる三成の中で、闇がそっと囁いた。
[3回]
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