ぴくしぶより。
大谷さんの鬱々とした回。三成出てこないけど、吉三です。家→三でもあります。
【スタンド・バイ・ミー_05 冬の蝶】
――ああ、死ぬのか。三成に全てを知られて。
吉継は果てない落下の感覚に包まれていた。
――残して、逝くのか。一人にはせぬと誓ったのになァ。
あれは殺されるのだろうか。できれば生きていて欲しい。いや、生きて欲しかった。
眩い陽光が月によって弱められ、吉継を傷つけることなく照らすように、三成は彼の月だった。
世の幸福は、自分にはあまりにも眩すぎた。美しいものは、手が届かぬがゆえに憎かった。
だが、それらは三成を介すことで吉継の元に届いていた。
至上の美しさを持つ彼は、吉継を求めた。側にいて欲しいと願ってくれた。
彼が生きていることが、自分の生きる証だった。
かつては無為に、ただ生きるために生きていた自分を彼が満たしてくれた。自分のために生きるのは飢餓を生む。三成と出会い、吉継は一人ではなくなった。その喜びを知った。
病を得て何もかも失った自分を、彼が救ってくれた。
もはや三成がいなければ、誰も吉継を見ない。必要としない。認識されないものは存在しない。
三成が生きることが、自分が生きることだ。彼の幸せが自分の幸せなのだ。
「――……みつなり」
薄暗く、見慣れない天井が見えた。
では自分は生きているのか。酷く身体が重い。いつものことだが、特に酷い。指一本動かせる気がしない。
此処はどこだろうか。
枕元に座していた男が答えた。
「猿掛城……我の古巣だ」
「毛利……か」
わずかに首をめぐらすと、その姿が見えた。見慣れた軍装ではない。着物の下に分厚く包帯を巻き、左腕を吊っている。なかなかに痛々しい姿だが、当の元就は気にも留めていないようだった。
「……命を、拾ったか」
「そのようだな」
「同胞……われは、どれくらい眠っておった……?」
「ひと月ほどだ。我が此処に来たのは昨日のことだがな。貴様は何度か目を醒まし、夢うつつに同じ事を問うたそうだぞ」
「さようか」
大して興味があったわけではない。それより、聞かねばならぬことがある。
「三成は、どうなった?」
「…………」
元就の沈黙が癇に障った。
「答えよ……三成は、三成はどうなったのだ……!」
あらん限りの力で睨みつけると、元就は静かに答えた。
「安心せよ。石田は生きている……長曾我部の元でな」
「――……っ」
一瞬呼吸が止まった。
長曾我部の元で――ならば企みは全て知られたか。
自分は蝶ではない。醜い蛾だ。
蝶のふりをして彼の肩に止まりながら、毒の鱗粉で彼を汚した。それでも――
「……さようか」
三成が生きている。
吉継はあえてその言葉だけを心に留めた。彼が生きているならいい。生きてさえいてくれれば、三成ならばきっと幸せを掴める。
欺瞞だと囁く声を頭の隅に押しやり、吉継は二番目の疑問を問いかけた。
「では、われは何故生きていやる?」
自分は元親に殺されたはずだ。あの時点で息があったとしても、止めを刺されなかったのは何故か。
「我が手の者が戦の混乱にまぎれて大阪城から貴様を連れ出したのだ。偽の死体を置いてきたので、貴様は公には死んだことになっている」
気づいたものはおらぬようだ。
どのような工作をしたのか知れないが、元就は自信ありげだった。
「われの生存を知る者は?」
「我と我が手の者が少々……後は、徳川だ」
元就の答えに自然と眉が寄った。
「徳川、だと……?」
「安心せよ。あの男の口から貴様の生存が漏れることは無い」
「…………ぬしが言うなら、そうなのであろ」
元就が自分を助けたのは何かの利用価値を見出してのことだろう。
何故毛利と徳川が結んでいるのか――大阪を攻めたのは、長曾我部と徳川の二軍だった。元親は返す刀で厳島を攻めたはず。それでも元就は死んでおらず、家康とは手を結んでいるかのような口ぶりだった。では元就が元親を返り討ちにしたのか? それでは家康と元就が結ぶはずもない。
経緯はわからないが、三者は少なくとも休戦状態にあるのだろう。
吉継は死んでいないと推測した家康が元就に吉継を託し、口を閉じた。それだけが確定事項だった。
相変わらず吐き気のする偽善者ぶりだ。あるいは、生きて苦しめということか? それが復讐か?
あの男は三成を愛していた。それを知った吉継は彼の恋路を悉く邪魔してやった。三成の心を占めているのは自分だと、何度も見せつけた。
豊臣の子として表面上は友好を保ったまま、二人は三成を挟んで激しく睨みあっていた。
だが、自分がいない今、あの男は三成を手に入れようとするはずだ。
三成は家康を憎んでいるが、それは同時に家康への信頼の深さを物語っている。どうにかして傷を癒せば、家康に靡く可能性も皆無ではない。いや、万に一つの可能性だけでも猛毒となって吉継の心をかき乱す。
それとも、秀吉を殺してまで止めようとした男だ。案外強引な手に出るかもしれない。憎しみすらも『絆』と呼ぶくらいだから、手荒な手段を取ってでも三成を手に入れようとするかもしれない。
それを思って煩悶する自分を、遠くで笑うつもりなのかもしれない。
だが、吉継には何もできない。
「大谷……何か望みはあるか?」
「…………っ」
声を掛けられ、吉継は獰猛な妄想から我に返った。
じっと見つめてくる元就の目は不思議とかつての冷たさを感じさせない。かといって温かくもなかったが、それがかえってありがたい。
吉継は言った。
「あれが健やかであるのなら、われは何も望まぬ」
「…………」
元就は黙って吉継をじっと見た。この期に及んで貴様の口は嘘ばかり吐くのだな、と言われた気がした。
――嘘ではないわ。見栄よ、ミエ。
腹の中で笑っていると、元就がすっと立ち上がった。
「大谷……女が一人、貴様の世話を焼く。貴様を生かしたのもその女だ。腕は良い」
「医者か……」
女の医者は珍しい。だが、死に掛けていた自分を救ったのなら、確かに腕は良いのだろう。他人に身体を見せるのは嫌だったが、このひと月の間散々見られていると思えば諦めもつく。
「よかろ」
「生きよ、大谷」
無造作に言い捨て、元就は去った。
「生きよ……かァ……」
ぼんやり天井を眺めると、不意に景色が滲んだ。どうやら自分は泣いているらしい。
「やれ、驚いた……われが涙するなど、久しくなかったことよ」
吉継は自虐的な言葉を吐いてよく三成を怒らせたが、それは彼の気位の高さからくるものだった。自分は醜い。それは重々承知している。だが、他人に指摘されればやはり腹も立つ。他者に心乱された事実が吉継の誇りを傷つける。だから、他人に言われるより先に自分で自分を貶めたほうがマシだ。それで大抵の相手は黙る。
だが、病の絶望にいる間ですら、自分を哀れんで泣く事だけは許せなかった。代わりに世を呪うことで耐えた。
このまま狂い死にするかと思っていた頃、三成がやってきて彼を闇の中から引っ張り出した。今までと変わらず、顔を上げて誇り高く生きると誓わされた。それからは、彼との誓いが心を支えた。
最後に泣いたのはいつだったろう。随分昔だ。誰も愛さず生きるはずだった自分の心が、とっくに三成に奪われていたと知って動揺したときか。やはり三成絡みだ。自分の人生の大半は彼と共に在ったのだから当然だ。
「ヒッ……ヒヒヒッ……」
掠れた笑いが出た。傷に響いたが、引きつった笑いが止まらない。笑いながら泣いた。
逢いたい。三成に逢いたい。
あまりに逢いたくて、涙が止まらない。
欠けた月の光の下で、ひら、ひらと飛び、そっと肩に止まって彼を慰めていたい。
「ああ……だが、醜い蛾ではならぬなァ……ぬしの目に障るであろ」
われの醜い裏切りで、ぬしはどれほど傷ついただろう。
軍師を失い、太閤を失い、徳川を失い、ぼろぼろに傷ついた心を、われがさらに抉ってしまった。百度死んでも償えぬ大罪よ。
逢いたいと乞いながら逢えずにいることが罰で償いなら、地獄に落ちるより効果的よな。
苦しむことが贖罪なら、いくらでも苦しんでやろ。
浅ましきことよ。ぬしが恋しい。ああ、逢いたい、
「三成……」
生きてくれ。
生きて、幸せになってくれ。
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